父を語る(1)
今日、2011年9月24日は、父の62歳の誕生日である。これまで、母の誕生日の時には何かしらプレゼントをしてみたり、還暦の際には自筆の書を贈ってみたりと祝っている一方で、ついつい父の誕生日はないがしろにしてしまっていた。それはそういうものだ、ということにしてしまってもいいのだが、ずっとこのままというのもなんなので、これから毎年父の誕生日の前後に、私から見た父の姿と、その私への影響について語ることにして、誕生日祝いに代えたいと思う。
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気がつけば私もまもなく36歳であり、18歳で親元を離れているのだから、家族と一緒に過ごした期間と、それ以降の長さが匹敵するくらいになってしまった。だが、それだけの年月を経ても、今の自分を見つめてみると、いろいろなところで父の影響というものがある気がする。その一つが、「継続して記録することにより新たな発見を得ることを喜びとする」というものだ。
昔、我が家には「4人打ち麻雀」というファミコンソフトがあった。ファミコン時代の中でも最初期の部類に入る作品で、ゲームは単純な半荘勝負。プレイヤーにもコンピュータにも名前はついておらず、また、過去の成績を記録する機能も一切ないというシンプルなものだった(当時はそれが普通だった)。だが父は、そのゲームを遊ぶ際に、一回一回の成績をノートに記録していた。しかも、自分以外のライバルに適当な名前まで与えて。
単純な半荘勝負を一回こっきりで遊ぶというだけの機能しかもっていないこのゲームも、こうして記録にとどめることで、より楽しさが広がる。実際、こうして記録したノートというのは、眺めているだけで楽しい。さらに、最近の自分の成績はどうか、上から3番目のコンピュータの成績はどうか、最近は調子がいいな、スランプだな、などといった想像の世界が無限に広がる。
近年のゲームにおけるプレイ記録情報の充実ぶりをみれば、ゲームをプレイしたことを記録に残すことの楽しさは、今では多くの人の知るところとなっていることが伺い知れる。しかし、ゲームそのものに記録機能がなくても、自分でノートにつければ記録することが出来る。そしてそこには、与えられただけではない、自らの手で生み出す、新たな楽しさがあるのだ。ということを、幼い私は父の行いから見て取ったのであった。
データを集めて、それを分析して、というのは今の私の仕事の一部でもあるのだが、その原点はこんなところにあるのではないかと思う。
(2011.9.24記)
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